今回は、理容師であり
「護国神社巡リスト」の
まーちゃんとの対談から、
我々の人生観をも変える
パラオ・ペリリュー島の真実に迫ります。
まーちゃんは、運を良くするために
護国神社巡りを始めましたが、
その旅は最終的に、我々が忘れかけていた
先人への深い感謝と日本人の誇りを
再認識する旅となりました。
特に彼の人生観が変わったという
ペリリュー島で彼が感じた、
知られざる偉大な愛国心と、
現地に残る感動的な親日文化について、
対談動画で話された内容から一部をご紹介します。
↓
●1万人が散った激戦地。彼らが命を賭けた理由とは?
太平洋戦争の激戦地である
ペリリュー島では、
約1万人の日本兵が戦死し、
生き残りはわずか34人でした。
彼らは、乾燥して寒い満州から、
暑くて虫の多いペリリューへ送られ、
食料も物資も圧倒的に不足する中、
手で洞窟を掘り、戦い続けて下さいました。
米軍との戦力差は兵士で
5倍(1万人対5万人)、
物資では10対1、
あるいは20対1とも
言われるほどでした。
彼らが72日間(あるいは73日間)もの間、
帰ることなく戦い続けた理由は何だったのでしょうか?
それは、本土にいる家族や子どもたちが、
少しでも避難する時間を稼ぐためでした。
まーちゃんは、
この島で戦没者と共に
「故郷」を歌った際、
自分たちには帰る故郷があるが、
彼ら1万人には
もう帰るつもりがないという
悲壮な覚悟を痛感し、
英霊に対する
「評価の前に感謝しかない」
という気持ちが生まれ、
人生観が変わったと語っています。
●信号機がない島が教えてくれた「日本人の心」
ペリリューがあるパラオという国は、
国に一つも信号機がないことでも知られています。
過去に信号機を設置した際、
運転手が「譲り合うという意識がなくなる」ために
事故が増加し、国が信号機を撤去したところ、
事故が減ったという事実があります。
これは、パラオの人々の持つ
高い譲り合いの精神を示しています。
さらに
感動的なのは、パラオの人々が
今でも日本に対して
深い敬愛の念を持ってくれていることです。
まーちゃんが現地で
高校生にインタビューした際、
多くの若者が日本のことを語る時、
決まって「I Love 」という言葉を
冒頭に使ったといいます。
彼らは日本の文化や、
「電気柱」や「乳バンド」
といった絶妙に残る古い日本語を今も使っています。
まーちゃんは、この島を訪れることで、
先人たちがどれほど素晴らしかったかを肌で知り、
「自分の誇りにもなる」と語ります。
この特別な場所で、
我々の先祖が残した偉大さと、
現地に残る文化を通じて、
日本人の自尊心を取り戻す旅へ、
あなたも同行しませんか?
まーちゃんと武田さんが
同行を呼びかける、
次回のペリリュー慰霊の旅は、
令和8年1月21日から25日に開催されます。
対談動画内では、
「お金を慰霊のために使うということが
尊いことなのか」を読者の皆様にも
考えてほしいというメッセージも込められています。
なぜ、この旅がこれほどまでに参
加者の人生を変えるのか。
是非、対談動画でご覧ください。
対談動画内では、
「お金を慰霊のために使うということが
尊いことなのか」を読者の皆様にも
考えてほしいというメッセージも込められています。
なぜ、この旅がこれほどまでに参
加者の人生を変えるのか。
是非、対談動画でご覧ください。
PS
今回武田さんと対談くださった
まーちゃんのYouTubeチャンネル
「護国神社巡リスト まーちゃんねる」は
こちら
ー武田勝彦
PS
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