昨日、新潟縣護國神社にて
「武田勝彦かたりべ会」を
開催させて頂きました。

岡山から新潟へ。
新幹線→バス→飛行機を乗り継ぎ
ようやく新潟空港に到着。
岡山からの日本海側は
改めて、遠いと感じました。

しかし護國神社に到着し
第一鳥居をくぐった瞬間
その疲れはどこかへ消えてしまいました。

神門の先に広がる拝殿前の境内は
雅な壁に囲まれていました。

これは日本海から吹きつける
強い風の中でも
参拝者が静かに参ることが出来る様に
との配慮だそうです。

御年77歳になられる
斉藤宮司をはじめとする
皆様の御心遣い。

参拝者を守ろうとする優しさに
胸が温かくなりました。

さらに拝殿も増築され
200名以上が一同に参拝できるよう
立派に整えられています。

お金を集められたご努力が
どれほどのご苦労でしょうか。

新潟縣護國神社には
「英霊をお祀りし続けるのだ」という
強い使命を感じました。

そんな境内で
思わず微笑んでしまう
温かい光景がありました。

袴姿の新郎と
綿帽子の花嫁。

若いお二人が
結婚の記念写真を撮っていたのです。

家族を持つことなく
祖国の未来のために散華した
英霊となられた若者たち。

その英霊の御前で、
新しい家族が生まれていく。

まさに
このために散華された
と言っても過言ではありません。

撮影をされている新しい夫婦を
英霊たちは満面の笑顔で
きっとお祝いされていた事でしょう。

どうか末永くお幸せに。

さて。本題の
新潟縣護國神社でのかたりべ会は
大盛況。

地元のママさん世代たちが中心となり
開催してくださいました。
そのため会場には
お母さんと子ども達の姿が
多く見られました。

赤ちゃんを抱く母。
子どもの手を引く母。

その姿を見ながら
私は胸がいっぱいになりました。

先程の前撮りの若夫婦同様
かたりべ会に集まった
お母さんと子ども達の姿を見て
「守ってよかった」

きっとお喜びになっていることでしょう。

この日
私は一人の特攻隊員の
お話をさせて頂きました。

穴沢利夫少尉。

出撃を前にして
婚約者の智恵子さんへ
一通の手紙を書きました。

「あなたの幸せを希ふ以外に何物もない」

そして

「勇気を持って、過去を忘れ、
将来に新活面を見出すこと」

「自分はもう現実の世界には存在しない。」

只々、
相手の幸せを願う気持ちを書き残して、
彼は沖縄の空へ飛び立ちました。

しかし
手紙の最後には
一人の男子としての本心が残されています。

「智恵子 会ひ度い、話し度い、無性に。」

死を覚悟した青年が
最後に書いた唯一のワガママ。
それは祖国でも天皇陛下でもなく、

「愛する人に会いたい」

という言葉でした。

戦後80年を過ぎた今。
戦争体験者はいよいよいなくなりました。

ここから先
戦後生まれの我々が
感謝をもって語り継ぐ時代です。

利夫さんから受け取った遺書を
感謝の思いで読まれた智恵子さんは
もうこの世にはいません。

「あなたの幸せを希ふ」


母が子どもの手を引き
神社に参拝しています。

英霊の御前で
新しい夫婦が
結婚の記念写真を撮っています。

その光景を見て
改めて覚悟しました。

「次は私がこの家族を守る番だ」

もし昨日の光景を
穴沢少尉がご覧になられたら
きっと静かに微笑みながら
こう言われるのではないでしょうか。

「これでよかった」
そして
「あとは、よろしく頼んだぞ」
と。

そして遺書の最後の言葉のように、

「今後は明るく朗らかに。
自分も負けずに、朗らかに笑って征く。」

英霊が守ってくださった祖国を
次の世代の我々が
明るく朗らかに生きていける様に
私も苦労をいとわず
次の世代へ繋いでいきたいと思います。

ー武田勝彦拝

PS

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