本日より鹿児島・知覧の地にて
今年で第3回となる
「さくらの集い」を開催いたします。
ここまで続けて来られましたのは、
日頃より見守り、
お支えくださる皆様のおかげです。
深謝申し上げます。

私が初めて知覧を訪れたのは、
約20年前、
友人に誘われたことがきっかけでした。
それまでの私は、
特攻隊をどこか遠い歴史の出来事として、
頭で理解しているに過ぎませんでした。

しかし――
その地に立ち
凛とした真っ直ぐな
特攻隊員のお写真と出会い、
彼らが遺した手紙を
目の当たりにしました。
「この人たちは、必ず死ぬと
分かっていても立ち向かったんだ」
そう思った瞬間、
自分でも驚くほど
泣き崩れてしまいました。
その手紙の多くには、
まだ若き青年たちが、
両親など愛する方々への
感謝と労いがほとんどでした。
人生最後の手紙です。
それを考えるだけでもたまりませんが
その手紙を受け取られた
お母上の気持ちを察すると
もう耐えられません。。。
息子を見送ったあの日。
どれほどの苦しさを押し殺し
どれほどの祈りを込めて、
息子を見送ったのでしょうか。
「どうか、どうか、
無事で帰ってきてほしい」
叶わぬことと知りながら。
飛び立つ側の覚悟、
見送る側の苦しさに触れる度、
我々は、
過去の遺徳の上に
生かされている事を知るのです。
それから私は、
気がつけば毎月のように
知覧へ通うようになりました。

遺族でもなく、
縁があるわけでもない私が、
なぜここまで足を運び続けるのか。
それは
あの場所には
「命の躍動」と「他を思う祈り」が
存在しているからです。
そして
通い始めて5年が経った頃
資料館の館長から
ある言葉をいただきました。
「何の得にもならないけれど、
引き受けてもらえないだろうか。」
そうして手渡された小さな名刺の箱。
そこに記されていたのは――
「特任館長 武田勝彦」の文字でした。
それは、役職ではなく
「語り継ぐ責任」を英霊から託された瞬間
だったように思います。

それ以降も
知覧、沖縄、東南アジアへと
慰霊の旅を重ね、
その回数は300回を超えました。
さらに全国の靖國・護國神社にて
「かたりべ会」を開催し、
多くの方々と共に祈る機会を頂きました。
その慰霊の中で出会った、
戦争を生き抜かれた方々や
ご遺族の皆様から、
繰り返し託された言葉があります。
「もう、我々の時代は終わる。
だからこそ、英霊の真実を伝えてほしい」
その言葉の重みは、
年々、深く心に響くようになっています。
必ず死ぬと分かっている作戦に、
それでも「逝きます」と言った若者たち。
そして――
愛する我が息子を
震える心を押し殺しながら
送り出した母たち。
もしそれが、
自分の息子だったら。
そう思うと
胸が締めつけられ、苦しくなります。
けれど――
その現実の中で生きていた時代が
確かにあったのです。
私たちは今、
その数えきれないほどの命と、
数えきれないほどの
涙の上に生かされています。
だからこそ――
このご遺徳を語らずして、
何を語れというのでしょうか。
一人でも多くの方に届けたい。
そして、
同じように心を寄せてくださる仲間と共に
「未来へつないで」いきたい。
その願いから生まれたのが、
「さくらの集い」です。

今年は
二日間で三度の神事を執り行い、
慰霊祭や昇殿参拝を通じて
英霊への感謝を深めてまいります。
きっとそこには、
言葉では表せないほどの
静かな感動とあたたかな涙が
あるはずです。
どうかこの想いが、
あなたの大切なご家族へ、
そして未来を生きる子どもたちへと
届きますように。
母が子を想う気持ちは、
時代を超えても変わることはありません。
だからこそ、
あの時代の母たちの我が子への祈りを、
私たちは決して
忘れてはならないのです。
〜元気に生きて幸せでいてください〜
祖国日本よ、永遠なれ。
ー武田勝彦
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