「黄色い猿」と呼ばれた日本人が、
世界の色を変えた日
「イエロー・モンキー」
戦前戦中、欧米列強が日本人、そしてアジアの人々に向けて投げつけていた言葉です。黄色い猿。獣以下の存在。文明を持たない劣った人種。新聞の風刺画には、牙を剥いた猿の姿で描かれた日本兵。ラジオからは、有色人種を見下すプロパガンダが繰り返し流れていました。
■ なぜ日本人は、そこまで見下されていたのか
当時の世界は、今の私たちが想像する以上に、はっきりとした「人種の壁」で仕切られていました。アジア、アフリカのほとんどが、白人国家の植民地。現地の人々は、自分の国でありながら、自分の国の主権を持てませんでした。学校にも通えず、選挙権もなく、時には「人間以下」として扱われる。それが、たった100年前の世界の「当たり前」だったのです。
かつての時代、植民地化を免れていたアジアの国は、日本とタイなどごくわずかでした。だからこそ、白人列強にとって、独立国家として力をつけていく日本は「目障りな存在」でした。そんな中、世界から人種差別を無くすために日本は動き出しました。
この提案の背景には、当時アメリカやオーストラリアで強まっていた排日移民政策への反発という、日本自身の切実な事情もありました。世界で初めて国際政治の舞台に「人種による差別をなくそう」という一文を持ち込んだのは私たちの先祖なのです。
その後も、日本人移民を狙い撃ちにした排日移民法。石油も、鉄も、ゴムも、日本には売らないというABCD包囲網。じわじわと、日本という国そのものを追い詰めていったのです。学校ではあまり教えてくれませんが、これも史実です。
■ 大東亜戦争が、世界に残したもの
大東亜戦争が終わったあと、世界は決定的に変わりました。
戦前、アジアのほぼ全域が、白人国家の植民地でした。それが、戦後の20年ほどのあいだに、次々と独立を果たしていったのです。戦争はしていいものではありません。ですが、大東亜戦争で私たちの先人たちが立ち上がった姿が、それぞれの国の人々に希望を与え、自身の意志で、独立への扉をいくつも開いたことは、紛れもない事実なのです。
インドネシアでは、日本がつくった郷土防衛義勇軍(PETA)の元隊員たちが、戦後の独立戦争を戦う国軍の中核になりました。ビルマ(現・ミャンマー)では、日本の訓練を受けたビルマ独立義勇軍のアウンサンたちが、のちに独立の指導者となっていきます。ベトナムでは、1945年3月に日本がフランスの植民地統治機構を武力で排除したことで生まれた権力の空白が、その後のホー・チ・ミンらによる独立運動(八月革命)への道を開きました。インドでは、日本と共に戦ったチャンドラ・ボース率いる「インド国民軍」の元兵士たちの裁判が、皮肉にも英国支配への反発に火をつける一因になったといわれています。
そして1945年、国連憲章。1948年、世界人権宣言。人種による差別を否定する言葉が、初めて世界共通のルールとして刻まれました。黄色い猿と呼ばれた国が、体当たりしてでも守ろうとした誇り。それが、巡り巡って、世界中の有色人種が人間としての尊厳を取り戻すきっかけのひとつになりました。
■ 知覧の英霊たちは、何を守ったのか
知覧で眠る英霊たちは、家族のため、愛する人のため、そして「未来の日本」のために、たったひとつの命を使い切りました。彼らが守ろうとしたのは、目の前の勝利だけではありません。
胸を張れる未来」
それを、命がけで私たちに手渡してくれたのです。私たちは今、その未来の中に生きています。
黄色い猿と蔑まれた時代は、もう終わりました。日本人は、有色人種として、世界で最初に立ち上がり、世界で最初に牙を剥かれ、それでも最後まで誇りを捨てなかった民族です。
この史実を知らずに、「日本人は悪いことをしただけの国だ」と、自分の国を卑下しながら生きていくのは、あまりにも、もったいない。
■ あなたに、お願いしたいこと
もしあなたが今、自分に自信が持てずにいるなら。日本人であることに、誇りを感じられずにいるなら。どうか、思い出してください。
その誇りを胸に、今日という一日を、堂々と生きてみてください。たったそれだけで、あなたの人生は、必ず拓けていきます。英霊たちが命をかけて託してくれた「希望」を、今度は私たちが、次の世代へとつないでいく番です。
今日も、最後までお読みいただき、ありがとうございました。
[参考]1919年人種的差別撤廃提案の採決経緯、PETA・ビルマ独立義勇軍・インド国民軍・仏印処理(明号作戦)に関する記述は、各種公開されている歴史研究・百科事典類の記述を参照しています。植民地化の割合(84%)は経済史家フィリップ・ホフマンによる推計であり、研究者・算出方法により数値には幅があります。
