お待たせしました。
沖縄慰霊の旅について。
「使命が見えた旅」
この10年余りで、
私は一体何度沖縄を訪れ、
慰霊を続けてきたんだろう。
そんな中で
これまで何度も通って来たのに、
なぜ今回?って思う「初めて」が、
たくさんあった旅でした。

まず大きかったのは、
今回初めて、
担当会社などを変更したこと。
我々はずっと
慰霊といえば南薩観光。
手配といえば南薩観光。
企画といえば南薩観光。
に、お願いしてきました。
それは、盟友である
現南九州市議会議員の村方直己さんと
二人三脚で活動してきたからです。
彼は、天性の人の良さを活かして、
南薩観光で旅行業を生業にしていましたが
私たちの活動にも心を寄せてくださり、
「知覧を知ってもらうことは、
世直しになる❗️」と決めて
政治というイバラの道を歩む決断しました。
家族の介護や子育てに苦労されながら、
県外や海外、
そして知覧での仕事を続けながら、
政治家としての職責も全うされています。
本当に有り難い存在だなあと、
いつも感謝しています。
だから、
村方さんの負担を少しでも軽くするため、
知覧以外の担当を他の方へ
お願いすることにしました。
そこで出会ったのが、

両備ツアーズの「おかもっちゃん」こと、
岡本啓資さんでした。
このご縁は、本当に神がかり。
我々との相性もピッタリの
素晴らしい方でした。
私がこれからの活動を続けていくうえで、
こんな仲間が加わってくれたことは、
神仏のお導きではないかと感じています。
我々は何がピッタリって
香川、リンリン、武田、おかもっちゃんは
み〜んなよく食べる食べる‼️🤣
最高です😚w

そして、今回最大の初めては、
「沖縄洋上慰霊」でした。
多くの特攻隊員が
散華されたであろう洋上へ船で出向き、
花とお酒を手向け、
お経をあげて鎮魂の祈りを捧げました。
その時のことです。
慰霊の旅ではいつも陽気な吉川さんが、
なぜか子どものように泣いていました。
後で理由を聞くと、
「上空の雲の切れ間から、
特攻隊が急降下するのが見えたんだ。
今、目の前で体当たりをしていった。。。」
ということでした。
我々は時を超え、
今でも英霊に守られています。
本当に心強いご存在です。
今も私たちを見守り、
「お前たちが困った時は、いつでも人柱になってやるぞ!」
と背中を押してくれている様に感じました。

そしてもう一つ、
心に重く残った「一中健児資料館」の
館長から言われた初めての言葉。
「武田さん、お願いがあります。
この資料館には、
日の丸を持って来ないでください」
資料館にはさまざまな思いや考えを
持つ方が訪れるため、
思わぬ問題が起きる可能性があるから、
とのことでした。
その話を聞いた、
友人の島んちゅがこう言いました。
「戦後レジュームの歪みが酷いのが、
ここ沖縄にんです。
その方は、戦争を知らない時代に生まれ、
沖縄返還後に日教組とメディアから
間違えた思想を刷り込まれた方々なんです。」
改めて沖縄では、
日の丸一つを巡っても
さまざまな感情や歴史的背景があることを知り、
私は
もっと沖縄へ通って
多くの「今」を知ろうと思いました。

次回はきっとバッチを付けての
訪沖になろうと思います。
でも、
彼ら英霊に対する慰霊の気持ちは、
一時も揺るぎません。
これからも、
約20万の沖縄戦の英霊に
感謝の誠を捧げ続けます。
これが、私の使命です。
ー武田勝彦
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